本学の女性教員に、研究テーマや、研究者の道を選択する時に何を考え、何を悩んだかについて語っていただきます。そして仕事・研究と家庭のバランスをとるための工夫や生きがいなど研究者としての人生について話していただきます。研究者を目指しているにみなさんには将来の指針として、研究者としてがんばっている方々にはさらなるチャレンジへの励ましとして役立つことを願っています。

本学女性教員へのインタビュー

女性教員インタビュー⑤ 農学部生物資源環境学科  岡 真理子 准教授

自己紹介をお願いします。

 植物は動物の食料となったり、人の心を和ませたりと様々な役割がありますが、じっとそこに居るだけの静的なものと捉えている人がかなり多くいるようです。しかし、植物の体内を調べてみるととても生き生きと動的であることがわかります。植物の巧妙な仕組みに魅せられ、植物が成長し、生きていく過程でどんなことが起こっているのだろうという疑問を解決すべく、研究をしています。最近は、場所を移動できない植物が自分にとって生育しにくい環境にさらされたとき、どのように応答して適応しているのかということについて研究を行っています。

先生が理工系分野を選択した時期・理由について教えて下さい。

 中学生、高校生の頃から理科が一番好きな科目だったから、というのが理系を選んだ一番の理由です。また、物心付いたときには、科学技術を取り入れたものに囲まれており、理系の人によってもたらされるものが人の役に立つものとイメージがリンクしやすかったこともひとつの理由だったように思います。中高生の頃は特に化学が好きで、化学反応が起こる様子に何だかワクワクしたことを思い出します。高校に入った頃は化学に関する学部学科に進学しようと思っていたのですが、高校3年生の始め頃にバイオテクノロジーに関する本を読み、それに影響され、大学では遺伝子組換えなどを学びたいと思い、そのような勉強ができるところ選びました。遺伝子組換え技術に憧れて大学に入った私は迷わず卒論研究では植物の遺伝子組換えをやっている研究室を選びました。遺伝子組換えは夢の技術のように思っていましたが、実際は夢の技術というよりは様々な生体内の現象を明らかにするためのひとつのツールであるということを知りました。そういうわけで、私の遺伝子組換え熱は皮肉にも遺伝子組換え技術を学ぶことにより冷めてしまったのですが(笑)、研究室に入り、世界での植物に関する様々な研究について学ぶにつれ、植物の成長制御や環境応答はなんて複雑で巧妙な仕組みによって成り立っているのだろうと魅了され、植物のメカニズムをもっと知りたくなりました。幸いにも研究を続けられる環境に身を置くことができ、今に至っています。

 

 現在の仕事の魅力やおもしろさを教えてください。

 生物は進化の過程でとても複雑で緻密な調節機構を作り上げてきました。生き物、私の場合は特に植物についてですが、それらがどのように体内で調節を行って生きているのかという不思議に満ちた世界のほんの一端ではありますが、自分のやった実験や観察から世界中の誰もまだ知らないことをいち早く知ることができるということが研究の面白さのひとつだと思います。現在は分析技術や解析技術が向上したこともあり、代謝物の解析や、タンパク質の相互作用、遺伝子発現制御など生命現象をより深く理解することができるようになってきていますが、まだまだ解っていないことのほうが断然多いことには変わりありません。ひとつの発見が新たな疑問を生み、疑問には限りがありませんが、それを研究室の学生達と一緒に解き明かしていけることは幸せなことだと思います。 現在は、大学という教育機関に従事していますので、対人間という側面も大きな割合を占めます。様々な人との付き合いの中で日々考えさせられることばかりで自分の未熟さを感じつつも、学生達とともに成長していけることは教育機関に従事するものの醍醐味であろうと思います。時々訪ねてきてくれる卒業生の社会での活躍を耳にすることも嬉しいことです。

 

女子学生へのメッセージをお願いします。

 私が高校生の時、理系クラスは軒並み男子だったせいか、理系に興味があるけれども文系クラスを選択した友達がいました。何故か私の通っていた高校は伝統的に理系クラスに女子が少なく、女子にとって理系クラスを選ぶのはかなりハードルの高いことだったのかもしれません。実際、高校2年生になり理系クラスに行ってみたら、女子は2人だけでした。やりにくいこともなくはなかったのですが、やはり今への道が開けたのはまずは高校で理系クラスを選んだからだと思います。大学院に進学するにあたり、考えの古い親に「女の子が何で大学院なんかに行くんだ」と言われ、博士課程に進学するにあたり、「まだ進学するんか」と言われましたが、偏屈な私は親の言うことも聞かず、自分で責任を取ることを前提に好きなようにさせてもらいました。そう言っていた親も今では応援してくれています。人生は一度しかありません。何をしても一生ならば、やりたいことをやった方がきっと充足した人生が送れるのではないかと思います。これから大いなる可能性を秘めた皆さんには、女性だからと諦めることなく、強い意志を持って自分のやりたいことにどんどんチャレンジしていっていただきたいと思います。まずはチャレンジしないことには先に進めませんので。そして、その過程において、洞察力や忍耐力を身につけて行けば、大きな武器になると思います。一般的に、女性の方が男性と比較して、共感力があり、同時に複数の物事をこなすことができ、広い視野で周りの情報を得ることを得意としていると言われていますので、このことに基づくと、女性の方が、協調性を持って、幅広い視野の情報をもとに柔軟に物事に取り組むことができるということになるのではないでしょうか。プロジェクト型の仕事が増えていく中で、そのような特徴を持つ女性はこれからの仕事体型に適しているだろうと思います。男女による職業選択の差はこれから益々なくなってくると思いますので、自分自身を見極め、磨くことにより、自分の望む道に進むことが可能になると思います。 また、これからの世の中は、益々科学技術が身近なものになると思われます。倫理に関わる部分にも少なからず科学技術が関わる領域が対象となってくると思います。それをイメージではなく正確に判断する能力を持った人材が求められることは必定です。難しいことは研究者が知っていればいいという時代ではもはやなく、子供を育てるお母さんこそ最も正確な判断ができねばならないのではないかと私は思っています。そういう訳で、より多くの女性に理系に進んで科学の本質や技術について学んで欲しいと思っています。もちろん、自分の能力を活かし、社会で活躍する女性がもっと増えることも強く望んでいます。

 

女性教員インタビュー④ 工学研究科情報エレクトロニクス専攻  田中 美栄子 教授

自己紹介をお願いします。

 知識工学講座に所属し、学部生向けに「人工知能」「数値計算法」「形式言語とオートマトン」「情報科学概論」等の講義をしています。大学院生向けには、修士課程用に「確率的情報処理」「予測と意思決定」博士課程用に「複雑系科学特論」を教えています。研究テーマとして、株価など金融価格の時系列解析と統計的予測、ランダム行列理論を利用した乱数度測定法の開発とその応用、人間乱数の研究等を学生諸君と一緒にやっています。日本物理学会と情報処理学会、IEEE、日本応用数理学会に所属しています。

先生が理工系分野を選択した時期・理由について教えて下さい。

 高校時代は文系も理系も好きだったので進学にはちょっと迷いましたが、きちんと習える機会に理系の勉強をしておくのが良いと考え、科学の基礎としての物理学の勉強から始めました。大学の高学年から大学院にかけては理論物理学、特に高エネルギー素粒子理論を専攻しました。大学院の途中でアメリカに留学し、ニューヨーク州の北部にあるロチェスター大学で博士号をとりました。学位論文は日本語で言うと、「QCD和則と擬スカラー中間子」となります。この内容はPhysical Review Dというアメリカ物理学会の論文誌に1984年に発表しました。そのあと、アメリカの3つの大学でポストドクや助教授を経験しました。3つ目の大学でテニュアが取れたのでそのままアメリカに定住しようかと思いましたが、そのころ盛んになってきたコンピュータサイエンスに興味を持ち、隣の大学の大学院に入って正式に勉強し始めたのです。この頃日本の大学で雇って貰えそうになったので帰国しました。最初に就職した大学では社会情報学をやることになったので、社会問題のシミュレーションをいくつか考えました。次に移った大学は工学部の情報工学科だったので、コンピュータサイエンスを勉強した経験がとても役に立ちました。今いる所は帰国後3つ目の大学ですが、2つ目とほぼ同じ、工学部の知能情報工学分野です。学生さんたちと一緒にランダム系の数理に関する研究を行っています。

 

 現在の仕事の魅力やおもしろさを教えてください。

 大量のランダム時系列(株価など)をコンピュータで自動処理して、そこから規則を見出す仕事は、根気は要るけれども、とてもワクワクすることも多いのです。ワクワクとガッカリの繰り返しともいえます。一見何をやっても駄目そうに見えるものが、苦労の末にうまく行った時には、発見の喜びを最大限に味わえます。また、人間乱数は、人に乱数を作らせるとその人特有の癖が出て、それをもとにその人の体調や精神状態を推定したり、個人判定にも利用できる可能性があるので、これは特に装置も必要とせず、誰にでもどこでもできるのでいろいろな用途が考えられます。いずれも利用価値だけでなく、研究テーマとして熱中できることが良い成果をもたらすと考えています。

 

女子学生へのメッセージをお願いします。

 私たちの学生時代には、女子が理工系に進むことに協力的でない大人が多かったものです。時代は変わり、理系女子が推奨される時代になりましたが、社会の仕組み自体はそう簡単に変わるものではありません。初めはちやほやされても、ある時点で途方もない困難に遭遇する人も多くいます。それでも前向きに進んでいれば、きっと何らかの形でそれは解決するものです。困難を乗り越えたあとは、そのために努力したり思い悩んだりしたことが、実は自分が大きくなれるチャンスだったのだと思えるようになるでしょう。

 

女性教員インタビュー③ 農学部共同獣医学科   金 京純(きむ きょんすん)助教

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 自己紹介をお願いします。

 鳥取大学共同獣医学科にて獣医寄生虫病学の講義・実習を一部担当しながら、鳥類の血液に寄生する鳥マラリア原虫の研究をしています。特に鳥マラリアを媒介する蚊を主な研究対象とすることで、蚊によって媒介される感染症が自然界においてどのように維持されているのかを明らかにしたいと考えています。

先生が理工系分野を選択した時期・理由について教えて下さい。

 獣医師になることを目指し、具体的な進路について考え始めたのは中学2年生の時でした。高校受験の際には獣医学系大学への進学率を参考に志望校を絞り、高校では理系のクラスを選択しました。獣医学は理系に分類されますが、必ずしも理系人間である必要は無いと思います。私自身、理系科目が得意だったわけではありませんし、高校では文系を選択していたという獣医師は少なくありません。

 

現在の仕事の魅力やおもしろさを教えてください。

 寄生虫や感染症は特別なものではなく、私たちと同じ生態系の一部です。私は鳥マラリア媒介蚊の研究を通じて、この事実を実感しています。人為的な環境変化は、新たな動物由来感染症を生じる原因となることから、人への病原性の有無に関わらず、自然界において感染症がどのように存続しているのかを理解することは必要だと考えています。  しかしながら、野生動物の感染症については、分かっていないことだらけです。研究を進める中で色々と難しい面もありますが、今の仕事は努力した分だけ新しい発見に出会えます。また、研究を通して国内外問わず色々な人と出会えるのも、この仕事の魅力の一つです。 研究職における日々の活動自体は、とても地味な作業ですが、研究成果をどのように社会に還元し役立てられるかを考え、それらをイメージすることで、仕事にやりがいを感じます。

 

女子学生へのメッセージをお願いします。

 私の獣医師としてのキャリアは長くはないですが、これまで性別による有利・不利を意識したことはありません。ただ、現役として活躍している獣医師、特に研究職における女性の比率は低いのが現状です。獣医学教育の現場に長年携わってきた私の恩師によると、柔軟性や異文化への適応力は、女学生の方が優れているそうです。時代と共に国際化が進み、獣医学を含む科学の分野においても、外国の研究者との情報交換や共同研究が当たり前になっている中で、文化や考え方の違いを楽しむことができる事は社会で活躍する上で大きなメリットになると思います。性別に関わらず、一人ひとりが自分の強みに気付き、それを将来仕事に生かせるよう大切に磨いていって下さい。

 

本学女性教員へのインタビュー

女性教員インタビュー② 工学研究科社会基盤工学専攻  浅井 秀子 准教授

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先生が、理工系分野を選択した時期・理由について教えてください。

 小学校の頃より、理系志望で、将来は小児科医になりたいと思っていました。そして中学時代は、文章を数式に置き換えられる「数学」が好きでした。きっちり割り切れて、白黒はっきりしているところがよかったのかもしれません。 
 しかし大学受験では、第一希望は叶わず、建築学科を専攻しましたが、理系女子の道はやっぱり選択しました。「一級建築士」を取得して、バリバリ働きたいと思っていたのかもしれません。高校の先生や周りの友達、親戚に驚かれたり、心配されたり大変だったことを覚えています。

 

現在の仕事の魅力やおもしろさを教えてください。

 卒業後は、念願の一級建築士を取得して、建築設計事務所で10年あまり働きました。その後、一念発起して、教育現場に入って、研究と教育という両方を行う立場になりました。研究面では、研究のネタ探しに奔走する日々ですが、そのことが学生への教育内容に反映できることに気づきました。「大学の先生は、“すし屋”のようなものだから、新鮮なネタが命」と先輩の先生に言われたことを思い出します。また学生は、私自身を映す鏡だから、どんな学生に対しても真摯な気持ちで向き合い、ともに学ぶ研究仲間として関わることが大切だと感じています。そして一人でも多くの学生に「建築のおもしろさ」を伝えることができたらと思っています。

女子学生へのメッセージをお願いします。

 土木・建築分野は、研究職も含めて、いまだに男性社会と思われていて、特に土木分野の女子学生数は、学年で1割程度というのが一般的です。しかし彼女らの多くは、優秀な学生で、男子学生に負けないくらい頑張っています。私自身、気になることが全くないとは言えませんが、それは、きっとお互い様。
 現在は、性別の区別なく、お互いができることを支えあいながら生活する時代になってきたと思います。「イクメン」という言葉もあるくらいですから、自分の可能性を信じて、少しぐらいの挫折にはめげずに、将来設計を考えてほしいと思います。この危機的な日本の将来を担うのは、理系女子の力かもしれませんから。

 

本学女性教員へのインタビュー

女性教員インタビュー① 医学部・保健学科・平松喜美子教授

 このたび定年退職される医学部保健学科の平松喜美子教授に、鳥取大学の生活を振り返って頂き後輩へのメッセージをいただきました。

先生が鳥取大学で勤務をされることになったきっかけは何ですか。

 私は単純に大学に行けば自分の道は見いだせると思っていました。そのため、高校3年生になっても将来の目標を持てず過ごしていました。経済的な理由から進学を断念せざるを得なくなり、親戚の開業医に勤務することになりました。しかし、自分の人生はこんなところで終わりたくないと思い、仕事をしながら自分なりに勉強をし、1年後に鳥取大学医学部附属病院の看護学校に入学しました。しかし、実習は嫌で嫌で仕方ありませんでしたし、また英語と統計学は再試の連続でした。

 看護師になろうと思ったのは、なりたくてなったのではなく、その当時、女性が自立するには教員か看護師しかありませんでした。看護師の養成は病院が衣食住すべて負担してくれます。この時代の看護師の多くはこのような経済的な理由で看護師になった人が多いと思います。

 鳥取大学医学部附属病院には27年間勤務しました.第2外科では婦長を含め19年,第2内科に5年間、その後、新病棟移転に伴って新設されたICU/救急部の新組織づくりに関わることができました.その間に1981年に文部省の看護教員養成課程に半年間、東京大学のキャンバスで研修を受けました。

 この研修で自分自身の能力のなさに気付き、その翌年から佛教大学の通信教育を受けることにしました。1か月に1~2回程度、日曜スクーリングを受けに京都に通学しました。土曜日は日曜日の食事の用意をし、夜11時の夜行バスで大阪の弁天町に行き、そして授業を受け、日曜日の17時には梅田からバスに乗り、夜10時に米子に到着しました。そして深夜の勤務をするという日々でした。その当時のバス代は2700円でした。なるべく経費を浮かせるためにおにぎりを持参しました。いつもバスの中では深夜勤務のために寝ていましたので、京都や大阪の風景など見ることもありませんでした。このように苦労をして学位を得た佛教大学の卒業式は涙が止まりませんでした。家族は何も言わず協力してくれました。

さらに教員になられたのですね。

 看護教育は短大が4年、保健学科は12年、合計16年間在職しました。  1996年に医療技術短期大学部が医学部保健学科に改組するということで、学位のある看護師さんを公募したのですが、どなたもおられないということで、私に白羽の矢が立ち、急遽、助教授として異動することになりました。その当時、多くの教員は修士課程,博士後期課程に入学し,私自身も社会人学生として吉備国際大学の大学院に学び、博士号を取得したのは59歳の年でした。

 私は社会学博士号ですので、学問形態が自然科学の分野と異なり、3年課程でしたが、6年もの年月を費やしてしまいました。ちょうど当大学が博士課程設置の準備を進めていた時であり、教授からまだ修了しないのかと催促されました。私立大学でしたので経済的には大変でしたが、博士号がなければこの大学では責任を持って仕事ができない状況でしたので、頭の中は論文のことで一杯でした。

大変お忙しい仕事のなかでご家族との生活はどのようにされていたのでしょうか。

 女性が職業を持つということは大変な時代でした。多くの看護師は結婚して退職するか、独身をとおすかという時代でした。子供が生まれても産前産後6週間しか休暇はなく、夜勤免除が半年ある程度でした。同居していても姑は年をとっており、子供の面倒を家でみることはできないということで、出産と同時に昭和46年に開設された医大の授乳室に預けました。その当時の授乳室は歯科の外来の一室を間借りしただけのものでした。子供は6名で、保母さんは預けている親たちがお 金を出し合って雇って見てもらっていました。これが現在の「すぎのこ」に引き継がれていきました。

 毎日、首が据わらない子供を「ねんねこ」でおんぶし、手には布おむつと離乳食を持ってのバス通勤でした。この当時のことはあまり記憶がありません。多分、毎日が必死で考える余裕がなかったからだと思います。第2子が生まれると我が家も自家用車を買い、少しは楽になりました。

 我が家は明治時代生まれの舅姑、小姑などの8人家族でしたが、家事は嫁の務めという考えでしたので、準夜勤務(午後16時30分~24時までの勤務)の時は、朝から夕ご飯の用意をして仕事にでました。準夜の時はだれにも邪魔されずにゆっくり睡眠がとれるので、準夜勤務が好きでした。

 子供が成長するにしたがい、今度は舅・姑の介護の問題が浮上してきました。現在のように介護保険や介護休暇もありません。舅が入院する時は、私が舅の付き添いをし、仕事に行き、姑が入院した時は家に家政婦さんに来ていただき、舅の面倒を看てもらいました。1日1万円だったと鮮明に記憶しています。しかし、小姑は独身でしたので、医療に対する考えの相違から、私たちに任せておけないと我々の留守の間に舅・姑を自分のところに連れて行きました。その後、舅は寝たきりになり、最後はまた米子に帰りたいということで、再度、面倒をみることになりました。このことがきっかけとなり、嫁は家事・育児・介護、そして仕事と多重な役割の意味とは、また嫁・姑問題について客観的な視点から明らかにしたいと博士論文は「介護者ストレス認知・評価の実態調査研究―介護規範意識と男女平等役割意識の葛藤―」というテーマになりました。

最後に働く女性として、教職員や学生にお言葉をいただきたいのですが。

 現在の職場環境は産前産後8週間、そして1年から3年の育児休暇、ライフワークバランスなど、いろいろと改善されてきました。また、看護教育の場も現在では200の看護大学があり、修士、博士課程と高学歴化してきました。今では当然の権利としてこれらの恩恵を受けることができます。そのため、与えられることのみを求め、自分で打開し、努力しようとする人達が少なくなっていると思います。しかし、この背景には先人達がその世代の社会観念と戦い培ってきた道程があることを忘れないで欲しいと思います。
あなたは、どのような人生模様を描いていますか、描くことができますか。 現状に甘んじることなく挑戦し、次の世代に引き継いでいただきたいと思います。

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メンターカフェ

女性研究者を囲んでの茶話会を開催する予定です。結婚・出産・育児あるいは家族の介護などのライフイベントを乗り越えて研究者として働く先輩と話してみましょう。あなたの疑問をぶつけてみましょう。新しい道が開けるかもしれません。

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学外講師によるセミナー

研究、教育あるいは科学技術関連分野で活躍していらっしゃる女性をお招きし、女性研究者・技術者の生き方をテーマとしてお話していただく予定です。

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